Oliver Holy
ClassiCon最高経営責任者
2016/03/09
ミュンヘン
ClassiConの最高経営責任者オリバー・ホリーを訪ねて、ミュンヘン・リームの本社に伺いました。彼はヨッヘン・ホリーの跡継ぎで、繊維製品のパイオニアであるHugo Bossの子孫にあたります。その成功の裏には家具メーカーClassiConの存在がありました。オフィスには大きな窓があり、外の緑を一望することができます。ここで私たちは、ミュンヘンのデザインを代表するコンスタンティン・グルチッチと、シュヴァービング地区の「Holys Passion」についてお話を伺いました。
はじめは法律を勉強されていましたよね。デザインを好きになったきっかけは?
そもそも法律はほとんどダメだったのです。私はもともと、デザインを勉強したいと思っていました。しかし、デザインでは成功できるチャンスはほとんどないとも思っていました。デザイナーとして本当に成功している場合であっても、会社では最終的に自分の提案が通るかどうかは分かりません。ロースクールは、結局その時のベストな選択だったのです。全く新しい視点を与えてくれましたから。
1998年に父親のヨッヘン・ホリーがClassiConを引き継ぎましたね。それから間もなくClassiConに入ることになりますね。
そうです、国家試験が始まる時期でしたが、弁護士は私の夢の仕事ではないことは分かっていました。父は私に対して、勉学を終えるよう話をしてきました。父は二次試験の後に私が入社すると考えていたようです。そして、ある晩、寝るときに法律の勉強はやめようと決意したのです。私はClassiConに入社できるこのチャンスこそが、自分のやりたいことを実現できることだと考えました。
仕事を始めるときはどうでしたか?
私は父から、何ができるかを示すように言われました。もちろん始めからマネージャーはできません。とにかく何もできないわけですから。そこで、あらゆることを経験しました。簿記、内勤、製品開発、購買、代表者との出張、物流、そしてさらには車いすに乗って倉庫に行ったりと。父は、会社はどのように動いているかを知る必要があると常に言っていました。そこでは、会社についてのことをよく知ることができました。
2003年に社長に就任されましたね。
ちょうど、新しい経済が崩壊した後の厳しい時代でした。しかし戦わねばならないのであれば、とにかく走ることが一番なのだと思いました。そして、そうすることで会社を高めることができると考えたのです。
2002年に、会社は現在の本社の所在地であるミュンヘン・リームへ移転しましたね。建築評論家ゲルハルト・マッツィングは、この建築物を「畑に上陸した豪華客船のようだ」と表現しました。新しい場所では何が変わりましたか?
新しい分野を開拓し、コーポレート・アイデンティティも変え、ミュンヘンでは新しい代理店の切り替えを進めています。コンスタンティン・グルチッチとアイリーン・グレイを展示するプランをたてました。アルフレッド・ハベルリとプロジェクトの企画なども進めました。それはグルチッチの本を出版するというものでした。簡単に言えば、私たちはインターナショナルな視野を持って働いているのです。
あなたのポジションにおいては、どのような才能が最も重要と考えられますか?
目をしっかり開いて、社員がやっていることを楽しむことです。偏見は絶対にいけません。ある程度の慎重さは必要です。私は商業的成功のために何かをすることはありません。未来の「定番」を開発しているのです。しかし、ケルンでもミラノでも同じように定番の家具をたくさん作り出すということはできません。多くても年間2つか3つの定番を作り出すくらいのことが限界です。私はVitraまたはMorosoのようなすべての家具メーカーをよく知っています。少なくとも10年は使えるような製品を作りたいと思っています。ClassiConは市場では、商品を頻繁に発表しないという評価を受けています。おそらく、これはわたしのシュヴァーベン地方の気質が影響しているのではないかと思います。
ご家族はシュヴァーベンのご出身ですね。ミュンヘンに来られたきっかけは?
母はミュンヘン出身です。16歳まで私たちはメッツィンゲンに住んでいました。しかしそこには常に、ミュンヘンとテガーンゼーとの強いつながりがありました。物心ついた時から、月に2回はテガーンゼーで週末を過ごしていました。1992年に私の家族はテガーンゼーに引っ越してきました。
プライベートでは現在、フェリツ通りに近いシュバービング地区に住んでいらっしゃいますね。この地区のどんなところが好きなのですか?
感じのよさと、極端なコントラストが好きなのです。HopfendoldeやAlbatrosのようなユニークなバー、一方ではOccam DeliやSeeroseのような素晴らしいレストランと並ぶ豪邸。グロッケンバッハビーテルやガートナー広場よりもシュヴァービングらしいと思います。でも、そこに常駐したいという思いは私の中にはほとんどありません。そこに住んでいることがトレンドだと思っている人もいます。しかしそこに引っ越しても、何かが自動的に変化するというわけではありません。そこは値段は高いけれど、多くのデザイナーやクリエイティブエージェンシーがいるのは確かです。
クリエイティブな業界についてお話しください。ミュンヘンに対してはどのような点を評価しますか?
ミュンヘンは確かに創造の拠点とは言えませんが、非常に快適な街であり、人々はいろいろなものを必要としています。一つのことがうまくいかなくてもあまり深く落ち込まない気質も良いところです。ここには素晴らしいギャラリーや大きな美術館があり、古い文化と新しい文化の融合、さらに美術館群ピナコテークもあります。多くのインターネットプラットホームはミュンヘンにあるというだけでなく、グローバル企業のシーメンス、BMWもここを拠点としており、テクノロジーに大きな投資をし、クリエイティブな人材を常に必要としています。ミュンヘンにはすべてがそろっているにも関わらず、とても静かな環境をあわせ持っています。
ClassiConの場所としては非常に居心地がよいのでは?
本拠地としてはミュンヘンですが、ClassiConは53か国で展開しています。ここから全世界的に飛び出すのです。各国には優秀な販売店があります。
あなたにとって、ミュンヘンでは足りないと感じるものは何ですか?
国際的なインプットですね。ベルリンにはそれがたくさんあります。ベルリンの人々は英語を話すことができますし、若いギャラリーが世界中からきて育っています。しかし常に忘れられてしまうのはなぜか。大きなギャラリーはなぜベルリンを去ってしまうのか。それはお金が不足しているからです。ベルリンにはお金がありません。ミュンヘンではギャラリーにバイヤーが来ると、100万ユーロを支払うことがあります。これは現在の芸術の世界では珍しいことではありません。ベルリンでGraubnerやGurskyのオークションがある時、ミュンヘンからもよくお客様が来られます。
購買力以外に、違いはありますか?
ベルリンの人々はよく集まって楽しく話をしたり、パーティーをしたりすることが多いです。ミュンヘンでは遠慮がちな南部気質をもっています。ベルリンでは自由な気質を持つ人が多く、ミュンヘンは慎重な思考を持つ人が多いです。私はベルリンが好きです。素晴らしい場所だと思います。しかし、友人が大勢いるからベルリンに家を購入したいと考えても、おそらくベルリンに暮らすことはできないと思います。私はいつも旅行ばかりしているので、ベルリンに住むことは難しいです。いつ定住したらよいのか、そのタイミングは未だにわかりません。週末にテガーンゼーに行くのが大好きです。ここには素敵なものがたくさんありますし、ミュンヘン周辺ではいろいろなことを体験することができます。
“少なくとも10年は使えるような製品を作りたいと思っています”
あなたにとっては刺激的なのはどの国際都市ですか?
ニューヨークは全てが早すぎる、気が狂いそうな都市ですね。でもそこでは、常に新しいアイデアが生まれているのです。私はアメリカのメンタリティが好きです。
どうしてですか?
アメリカ人は谷底に落ちてしまうようなことがおきても、すぐに気を取り直して、次のことに積極的に取り組むことができるからです。ドイツ人はより慎重です。誰かが破産したとしても、アメリカでそれを笑う人は一人もいません。ドイツでは、破産は絶望を意味します。アメリカでは、「ねえ、もう一度立ちあがり、まっすぐ前を向いて新しいアイデアを見つけよう」となります。アメリカで大きな車を運転していると、「成功したセレブだ」と言われます。しかしドイツでは「税金をあまり払っていないのではないか」と言われます。だからドイツ人は給料の開示に積極的になれないのです。
“私は商業的成功のために何かをすることはありません”
デザインについてお話ください。ミュンヘンについてどう思われますか?
生き生きしていますね。ミュンヘンには、コンスタンティン・グルチッチやシュテファン・ディエズ、その他大勢のデザイナーが暮らしています。ベルリン在住の素晴らしい才能を持つ若手デザイナーは、今はいないと思います。ヴェルナーアイスリンガーはもちろんベルリンにいます。
コンスタンティン・グルチッチはClassiConのためにデザインを手掛けていますね。あなたにとってのその重要性は?
グルチッチは私のお気に入りのデザイナーなのです。彼が扱う形状や材料は素晴らしさが感じられます。グルチッチと一緒に仕事ができることは、何よりも嬉しいことです。彼を人としてとても気に入っています。これについてはセバスチャン・ヘルクナーにも当てはまります。私たちは何度も会って、前回会ったときに気に入ったものを結びあわせています。
デザインと並んで、アートにはあなたの強い情熱がありますね。どのように始められたのですか?
早かったですね。18歳の時、クリスマスか自分の誕生日の時に何かアート作品を作ってみたいと両親に話をしていました。私が覚えている一番初めのプレゼントは、ナン・ゴールディンの写真集でした。彼女の作品は、当時まだ今のように高価なものではありませんでした。まず、私の興味は撮影のほうにありました。何年かは、芸術に対しそれほど大きな希望を持っていませんでした。写真撮影は、単なる楽しみでした。今ではデジカメがあるので、誰でも芸術を楽しむことができます。描かれた絵というものは、たった一枚の存在です。しかし、画家は絵を生み出すために長い時間をかけます。私はそういうものが好きです。また、オブジェを購入するのもとても好きです。前の私からは全く想像することができませんでした。私は特に若手アーティストの仕事を評価します。名声は重要ではありません。私は気に入った彫刻とともに暮らしています。私が素晴らしいと思うのは、サイ・トゥオンブリーやジョン・チャンバーレーンのような芸術家です。
かつてご家族がHugo Bossグループを所有していたことがありましたね。個人的に刺激を受けるファッションブランドはありますか。
品質に関して多少妥協したとしても、Hugo Bossでしょうか。私はカシミアのセーターを購入するとき、最高品質のカシミアを購入します。ベルリンのAndreas Murkudisのお店に行くと、買い物袋を抱えて出ないわけにはいきません。また、Nikeも常に素晴らしい商品を提供するので気に入っています。
オフィスで、小柄でエレガントなデザインのUSMハラーのサイドボードを見かけました。家具はどんなブランドがお好きですか?
普遍的な価値が重要ですね。実用的であり、かつ精巧に作られている作品です。私にとっては最高に美しい家具です。気に入らないものは、私のオフィスには置きません。毎日この部屋で9時間も過ごしているのですから。私にとっては美しいものに囲まれて過ごすということは非常に重要なことなのです。このように素敵なオフィスを持つことができるという贅沢を神に感謝せねばなりません。見るもの全てが100%私自身を表現しています。
USMはどんな形をお持ちですか?
オフィス同様、社員用にもUSMハラーのサイドボードとハイボードを置いています。インテリアは統一しています。
USMハラーはどれくらい使っていらっしゃいますか?
ものによっては30年というものもあります。この家具が30年なのか5年なのかは、今ちょっとはっきりとは分かりません。継続的に購入し続け、どんどん増やしてきましたから。
すでにこれらの家具と数回一緒に引っ越しをされていますよね?
はい、何度か。以前あった家具たちを連れてね。引っ越しのたびに、ユニットを分解してもう一度組み立てて、また家具として使っています。
ブランドとの思い出はありますか?
はい、実際、ブランドの思い出とともに成長しました。70年代の終わりに父は、工場を完全にUSMハラーであつらえることを決定しました。その当時最大の契約の一つでした。家具は今日まで、私にとっての良き友です。
この家具によってオフィスにはどのような利点が生まれましたか?
オープンスペースとクローズドのスペースの間の相互作用によって、全体的にポジティブな効果を与えてくれます。うちは広いオープンオフィスなので、USMハラーのシェルフで職場を仕切っています。立ち上がってみると、このオフィスは非常に大きな空間であると感じます。逆に座ってみると不思議なことに、多くのクローズドの空間がオープンな空間の中に存在していることに気づきます。そしてさらにメリットもあります。デスクに座っているとき、家具が背後を囲ってくれています。
サイドボードには何が入っているのですか?
とてもたくさんの物です。美しくデザインされたブラウンの小物。または本です。閉じた引き出しにはファイルをしまっています。ドアのところには、招待状やカードなどをマグネットで留めています。
たまにはポストカードの配置替えをするのですか?
はい、よくやります。ここ数週間は、姉から送られてきたイラスト入りのカードを貼っています。内覧会や、Chateau Marmontでのパーティーや、サザビースでのイベントの招待状です。特に私が気に入っているのは、Andy-Warhol'sの"All is pretty"というカードで、インタビュー雑誌が私に送ってくれたものです。それにしても、愛車ムスタングの写真は家具ととてもマッチしています。
どの色が好きですか?
ご覧になってお分かりのようにブラックですね。収納する物にぴったりで相性がいいです。考えてみると、USMの家具は唯一、ブラックで統一しています。ワードローブもブラックです。イタリア人は濃いブルーのものを選び、ブラックを選ぶ人はいないでしょう。世界でも有数なおしゃれな男性にはすばらしい価値を与えてくれる家具です。
普段の日はどのようにして過ごされていますか?
朝はスポーツで始まります。夏も例外ではありません。通常はもちろん、日常の慌ただしい業務がありますので会社にいます。しかし同時に、製品開発者やメーカーとも連絡を取り合っています。いろいろなことをしながら、私はそれを楽しんでいます。これから、ミラノの家具見本市、そしてニューヨークの国際現代家具見本市、その後日本のディーラーを訪問して上海に飛びます。その間にパリとロンドンにも行きます。
最後の質問です:世界のいろいろなものを目にされていますが、ミュンヘン・リームに欠けているものは何だと思いますか?
町なかにランチを食べる場所がないのは困りますね。繁華街まで車で行くと15分くらいかかります。週に一度は料理を作ろうと決意したことがありましたが、結局は実行しませんでした。おそらく私には、もっと多くの時間が必要かもしれません。
オリバー・ホリーに、Classiconの素敵な世界を紹介くださったことを感謝いたします。
このストーリーは国際的なインタビュー雑誌Freunde von Freunden.によって制作されたものです。 USM についてさらに知りたい方はこちら